賽の河原散策

yuzai2004-09-26

18日、佐渡へ小旅行に出る。

tongtong氏の文(id:tongtong:20040910)に触発されて、思うところがあって急に佐渡へ行くことになった。佐渡は以前からずっと行きたいと思っていた場所であった。
佐渡と言えば、自分の中で、金山の島、江戸時代までの流人の島、うらぶれた人が行く島という、どちらかというとダーティなイメージを成していた。今まで読んでは見聞きしてきた佐渡も、死に場所を探しにやってきたなどという、悲しいものばかりである。
そして自分が佐渡へ行った目的の一つは「賽の河原」であった。


新潟港からジェットフォイル両津港まで1時間。フェリーのゆったりした速度と違い、こちらは時速80キロの船。さすがに速い。あっという間に着いてしまったという感じである。
島に着くやいなや、レンタカーを借りる。1日で8千円ときた。安いな〜。そのレンタカー屋で尖閣湾近くの民宿の予約を済ませて、最北端目指して車を走らせる。右は透明度の高い海、左は険しい崖という風景が延々と続く。両津港から最北端まで約33kmであるが、その間、窓を開けて潮風を浴びながら突っ走る。気持ちいいったらありやしない。他に走る車は皆無だから、道路を独り占めしているようなものだ。
空は明るいけれど、やはりイメージどおりの島である。民家はあるにもかかわらず、人が住んでいるという気配すらしない。道路には人一人として現れない。これが鈍色の空覆う寒い季節だったら、さぞ荒涼とした風景になるに違いない。雪が降っているときに走ってみたい、そう思った。
ニツ亀を過ぎて、願(ねがい)という場所に着く。道路を下ったところにあり、海岸沿いの小さな集落という感じである。車をバスの停留所近くに止めて歩くことにする。ところどころに古ぼけた民家が点在している。これが人の住む家なのだろうか?まるで廃墟のごとく家に穴があいたりしている。もちろんしっかりした家もあるが、悲しい気分になってくる。
海に沿ってまっすぐ歩いていると、割烹着をきた老女に出会う。挨拶をして「賽の河原はどちらですか?」と尋ねた。「そこのコンクリート道をまっすぐ行けばあるよ」と言われた。その後はとりとめもない話をして別れ、僕は目的に向かった。コンクリート道が終わると、あとは大小の石ころの道が続く。途中、崖あり坂ありでまことに歩きづらい。しかも道が入り組んでいてクネクネしているから、何処へ向かっているのか皆目がつかない気分になる。また、ところどころに生えている枯れ木にまるで冥土へ向かう道を示しているような気分にさせられた。
5分は歩いただろうか、断崖にぽっかりと開いた洞窟に「賽の河原」はあった。外側は小さな石をいくつも重ねた塚があり、その隙間に小さな白い無数の地蔵が張り付いている。そして洞窟の中は風車や人形や赤ん坊の体を成した地蔵や、「水子地蔵菩薩」と書かれたお札でびっしりと埋まっていた。
誠に異様な光景である。しかもそこにいるのは自分一人であり夕方ということもあって、、すぐに戻りたい衝動にかられたが踏みとどまってしばらく観察を続けた。
水子とは幼くして死んだ子供を意味するが、この「賽の河原」はその水子を供養する場であり、水子の魂がさまよっていると言われている。ここに来れば、自分の子供に会えるという言い伝えがあり、その役をこなすのが水子地蔵菩薩というわけだ。昔はここに来るには、母親たちは舟に乗ってきたとか。
願まで戻り、くだんの老女に再び会って、以上のようなことを訊いてきた。

だが実際は違う―というか、ここに一つの伝説がある。

水子の魂がさまよっているのではなく、母親たちの怨念のようなものがさまよっているというのだ。つまり、幼くして死んだ子供は親を悲しませる親不孝者だということである。
賽の河原地蔵和讃(http://kupo.hp.infoseek.co.jp/wasan.html)にも唄われているが、水子には次の三つの罪があるという。
一つは、胎内にいる時に、母親を苦しめて、腹を痛めつけてまで生ませた罪。
二つは、親に全く孝行しないで先立った罪。
三つは、残された親に悲嘆の涙を流させる罪
詳細は文献に譲るが、誠におぞましい世界だと思う。これは水子の思惑とは全く逆のものである。どちらが正しいのかはそれは宗教界が決めるべきことなのだろう。
なお、この伝説をくだんの老女に訊いてみたが、「知らない」と一蹴されてしまった。その老女ははるか昔から願に住んでいるというから、知らないはずはないとは思うのだが、変に突っ込むこともなかろうとも思い、そのまま流した。

もう一つ興味深い伝説がある。

森鴎外の「山椒大夫」に出てくる、安寿と厨子王の話は有名であるが、その厨子王の母は盲目であった。尖閣湾近くの達者という町で流れている清水で目を洗ったら治ったという伝説である。現在は「目洗い地蔵」で祭られているが、その傍らには小屋があり、記帳ノートがあった。僕はこの類のものが好きで、よくコメントを書いたりする。今回は「全ての目が見えない人に光を!全ての耳が聞こえない人に音を!」と書いたのだが・・・自分では心の底からそう願ったのだが、おかしいだろうか。
ちなみに「たっしゃでな」という日本語はこの達者という地名に由来しているそうである。


話はここまでにするが、佐渡民俗学、民話、伝説の宝庫といっていいだろう。なにやら険しい話が多いけれど、それでも僕はまた足を運んでみたいと思った。今度は雪の降る季節に行って、感傷にふけりたい。