終戦記念日

15日、これまでの連日の暑さが嘘のように朝から寒い日であった。雨が少し降った。
精神と肉体が夏の暑さに対応しているだけに、天気の急な変わりように違和感を覚える。そして、僕の心の中は誰かの温かいぬくもりが欲しいと叫んでいた。こういうときに一人でいるときの寂しさは芯から堪える。カミさんが欲しいと何度思ったことだろう。しかし、そういう望みさえ、今現在許されていない。く〜っ。現実逃避したい気分だ。どこかへ突っ走りたくなる。
 いかに衝動を抑えるか。唐突なことを言うようだけれども、そのことが実は殺人を犯す人とそうでない人の境界線になるのではないかと考えたりする。何かに突きつけられて自分ひとりで通り魔的に人を殺すという事件は過去に何度もあった。最近では兵庫で7人もの親戚を刺殺するという事件が起きている。じわじわと熱くなってゆく水は一度沸騰したら、あとはなかなか冷めにくいものだ。佐世保の小学生殺害事件にしても、「心の闇」ということがよく言われる。だけどそんなものは実は誰しも抱えているものなのではなかろうか。
終戦記念日―。
からしめじめした気分であったが、戦死した人に慰霊を捧げるにはむしろこにような気分になった方がいいのかもしれない。本来はこの馬鹿馬鹿しき戦争が終わったことを喜ぶべきなのだろうが、戦死者を隅においてはならない。戦争は終わったが、「戦後」は終わったわけではない。これからも続くのだ。
戦争の残すつめ跡はあまりにも大きいのだということも、特に為政者は肝に命じるべきだと思う。