芥川賞

yuzai2004-08-14

★13日、仕事帰りに文藝春秋を買って、芥川賞受賞の「介護入門」を読む。約2時間30分かけて一気に読了。

主人公とその母が主人公の祖母を介護する様子を描いたもの。タップ調でテンポよく読める。所々に出てくる「YO、朋輩(ニガー)」という呼びかけ(?)が音楽を聴いているみたいで心地よい。
実体験かどうかは知らないけれども、主人公が祖母の世話をしているところが詳細に書かれていて、読者があたかも体験したような感じになる。
主人公はマリファナを常習している風であるが、介護に対する哲学は素晴らしく納得させられる。実際に介護の汗を流した者の強みがよくわかる。
主人公による現場の介護経験話に対して、「君固有の幻想ではないか?」という人がいるとする。そしてこう反論する。「二流の書物とセックスして死ね」。
「言葉だけで祖母の幸福を考える真似などしたこともない」とも言い、現実の介護に力をそそいでゆく。
机上の論理で介護を語るべからずってか。何かそういう風に感じ取れた。とにかくそういうものが全体的に強く前面に出ている。
文体はユニークだけれども、書かれていることは非常に真面目すぎるくらい真面目であり、そのギャップが面白いとも言える小説だと思った。



★14日、伊勢佐木町有隣堂にてミニトークを訊きに行く。テーマは「横浜の空襲、そして占領の街」。話し手は中部大学名誉教授の赤塚行雄氏。

聞き手は中高年ばかりであるが、30人は集まっていて、話を聞いていた。
が、赤塚氏の話がマイクを通しているにもかかわらず、僕にはよく聞き取れなかった。声が小さく、ぼそぼそ話すような感じだったからだ。前へ行ったり、集中して耳を傾けようとするものの、その努力もむなしく全然わからなった。まさか一生懸命に話されている最中に「すいません、聞こえないのですが・・・」と言うわけにもいかないだろう。
それでもまわりの他の人たちは聞こえているのか、うんうんとうなずいている。こういうときに聴覚障害を持つ者は疎外感を感じるのだ。まわりの皆がわかっているのに、自分だけわからない。だから、8/1の日記に述べたように離人感が強くなっていくのである。
これ以上、ここにいてもしょうがないと判断して退散することにした。
不発に終わった。無念である。