つれづれなるままに

11日、散策予定を変更して伊勢佐木町有隣堂へ。

地下のギャラリーで、横浜の子どもたちが体験した「疎開・空襲・占領」という催しが開かれていた。

http://www.yurindo.co.jp/info/gallery.html

金沢区の歴史に続いて、またしても戦争について考えさせられる。
戦時下の子どもたちの生活の様子が描かれた模型と、戦時下の横浜の写真を一通り見る。お客さんはやはり中高年の方々が全てである。受付に並ぶ、参考図書を片端から眺め読みする。どれも高いので買うつもりはない。受付係の「冷たい」視線をひしひし感じながらも、構わず読み続けた。
歴史の再確認であったが、やはり過去の戦争については受けた被害だけでなく、加害者としての日本のことをもっと知るべきことだと思うし、そして我々はこれを教訓にすべきだとも思う。現実には教訓になっていない部分もあるのだが、この時期に行なわれるこういう催しや報道機関のキャンペーンは意義がある。
14日のミニトークは参加の予定である。


夜、報道ステーションで渋谷でたむろしている少女達のドキュメンタリーが放映されていた。
少女は遊ぶカネが欲しい→下着を売る→大人が買う→少女はそのカネで遊ぶ、という図式はそのままに、販売少女の低年齢化とカラオケボックスを利用しての「取引」が問題になっているという。
こういうことをやることについて、少女、大人ともに罪悪感を感じていると言う。
でも止められないのだろう。
ここでいくつか疑問が起こる。
・少女達は何故こういうことでカネを得るのか
・大人は何故下着を買うのか
・少女、大人双方とも何故罪悪感を感じるのか、またそれは本当なのか、彼らの考える罪悪感とはどういうものなのか
・また何故販売少女の低年齢化が起こるのか
たぶん上記のような議論はあったと想像するが、どうせなら皆が見ている時間帯、行政や識者のこの「答え」を報道して欲しかったと思う。