県立金沢文庫〜横浜温泉

10日、Mr.tongtongと県立金沢文庫で会う。その後、横浜温泉へ。


★県立金沢文庫にて

前掲、8月2日の日記の野島公園散策の続き。
どうしても防空壕のことが気になるので、有休を頂いて金沢文庫で謎解きに取り掛かる。
当初は金沢区役所に出向くつもりであったが、念のため事前に連絡してみた。そうしたら「そういう資料はこちらではない」と言われ、自分が落胆したような応答をしていると、あちらが気を利かして「金沢文庫ならあるのでは?」と提言してくれた。役所の応対も民間並に変化したのだろうか、とにかく感謝の気持ちを込めてお礼を言った。
そんなプロセスもあって、ワクワクしながら金沢文庫に向かい、着いた途端に資料検索をする。すると、郷土資料のコーナーにあるある。「目でみる近代の金沢」が一番詳しく、野島について書かれた書物はすべて県立金沢文庫編集発行とある。
来て良かったと素直に喜んだ。
何冊かピックアップしてコピーを取った。ここで内容の詳細を述べるのは避けるが、一言で言えば、昭和の始めに金沢区は航空産業の街であったということだ。航空産業と言っても、日本軍があった頃の話だから、造られる物は軍事用の飛行機である。
結論として野島の防空壕跡は、正確には海軍の小型飛行機格納庫だった―ということである。昭和20年3月、横須賀海軍の第三○○設営隊(海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊)による建設工事があった(未完?)とされているから、戦争が終結するわずか5ヶ月前である。ずいぶん遅くに造られたものだと思う。なお、この部隊は日吉台の地下壕や、夏島の地下格納庫、松代大本営などの建設にも加わっているとか。
「目でみる近代の金沢」には格納庫工事作業風景の写真や航空機製作企業や航空機の設計図なども掲載されていた。それらを見ると、野島だけでなく、金沢区が軍事の街であったことがよくわかり、特に企業名で大いに納得できる。今は倒産したか移転したか、昔、金沢文庫金沢八景に日本製鋼や何とか飛行機という会社の工場が確かにあった。その関連で、金属関係の小会社もあちこちにあったことを思い出した。電車製造の東急車輌の工場は現在も存在している。
それにしても、いくら横須賀に近いとは言え、金沢区がそのような街であったことは現在と随分イメージが違うものだとちょこっとショックを受ける。Mr.tongtongの言うとおりである。なぜ金沢区が航空機の街として白羽の矢が立ったのかは・・・知る由もないが、とにかくこれで当面の目的は果たせたので大分すっきりした。



★横浜温泉とは

詳細はMr.tongtongの日記に譲る。
   ↓
http://d.hatena.ne.jp/tongtong/20040109

箱根や湯河原や熱海の話ではない。横浜にこのような本格的な温泉があること自体、珍しいと思う。自分が知らないだけか。しかもその地のネーミングではなく、横浜温泉ときた。気に入った。けど、ちょっと失敗かも。でも、まあいいか。旭温泉とか十日市場温泉とかだと、かえってどこの温泉かわからないだろうから。
湯味(?)は問題なし。(海水だからしょっぱい・・・)家族で十分楽しめる。


※温泉について―長野白骨温泉(入浴剤)や群馬伊香保温泉(水道水)の問題に関連して―

温泉法http://www.ron.gr.jp/law/law/onsenhou.htm

温泉とは「地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他ガスで、別表に掲げる温度または物質を有するものを言う」とあるが、温泉とは何かというのは実はその基準はよくわかっていないのではないか。
伊香保では水道水だけでなく、普通の地下水の源泉も利用しているという。この場合はたまたま伊香保が有名な温泉なので、問題にはなったのだが、HPで調べてみたらこの手のものは沢山あるある。
温泉のいわゆるさまざまな成分が温泉法で言う含有量に適合するというだけで「温泉」としてしまうわけだ。つまり、入浴剤を入れたものや、水道水を沸かしたものに成分が含まれているという理由で温泉になってしまう。これで法は「可」としているのである。
でもこれは普段温泉と関わりのない人間からすれば、やはりおかしい。本物の温泉とそうでないものは明確に法で基準を設けるべき。何が「正義」かはさておくとして、気分的に温泉はやはり本物であって欲しいと思う。