外人墓地散策VOL.2

yuzai2004-07-19

★根岸外人墓地〜根岸森林公園〜南京墓地(地蔵王廟)

JR根岸線山手駅を降りて、磯子駅方面に向かって歩くと、仲尾台という町に行く。高校時代、友達の家へ遊びに何回も行った場所であるが、当時はここに外人墓地があることすら知らなかった。ここは山手町と似た閑散とした住宅街であるが、違うのは日本家屋が多いということであった。山手町は洋風仕立ての家が並び、ガレージもあって、いかにもお金持ちが住んでいるという体をなしている。しかし仲尾台は古くから土地を購入した人がいて、家族が代々そこに住んでいるという感じがした。どちらも広大な土地を持って住んでいるのだから、金持ちであることに変わりはない。高校時代の友達の家もその一角である。
目指す墓地は、その友達の家へ行く途中にあった。どんな感じなのだろうかと思いながら坂を上って、やはり門の前に着いた。門を開けて中に入ると、墓はあるにはあるのだが、規模が小さい。山手町や保土ヶ谷区の墓地と比べると非常に閉鎖的だ。管理は行き届いていないのだろう、雑草が多い。おまけに黒光りした、かなり大きいカラスが僕の行く道の木の上に止まっていたのはびっくりした。今にも襲い掛かってくるような気がした。墓なんかどうでもよく、足早に出たい気分になった。
 一説によると、この墓地は山手町の墓地で墓があふれ返ったため、こちらにも作られたとか。資料や記録といったものがあまりないそうで、真相は定かでない。それにしてもあまりにも閉鎖的な場所にあるものだと思わずにはいられなかった。

その足で根岸森林公園へ。
根岸森林公園と言えば、その広さもさることながら、目玉は競馬場跡である。何処から見ても目に付き、遠くから見れば見るほど、その場にふさわしくない異様な姿になっては脳裏に焼き付けられる。
根岸外人墓地から徒歩で周囲をまわること約20分、競馬場跡に着く。古ぼけた茶色い建造物、ツタが無数にからみ、立教大学を彷彿とさせる。1867年建設とあるから、随分と長い歴史を感じさせる。
競馬には興味はないので、何をどう表現すればいいのか検討もつかないが、廃墟に関心を持つ者としてこの建造物そのものには感銘を覚えた。中に入ってよく観察したいと思ったが、すぐそばの米軍の監視や周囲の目もあって、それは控えることにした。無念。

そして南京墓地へ。
根岸森林公園から徒歩で約20分。えんえんと歩く。山元町の簑沢入口の信号を左に曲がる。坂を上ると左に「地蔵王廟」なる、中華街にあるような派手な門を目にする。
南京墓地の中国名が地蔵王廟らしい。この墓地は周囲が道路で囲まれ、見通しはよく開放的である。墓は日本のそれと同じと言ってよく、件のネズミ色のの墓標がゴチャゴチャになって建てられている。中国の人名が書かれているのを無視すれば、全く日本の墓地そのものである。
中国人らしき墓参者も何人かはいた。おそらく中華街で生計を立てている人たちであろう。彼らの中にも戦争で亡くなった家族がいるのだ。
国家を超えた、こんなにも多くの人命を滅ぼしてきた戦争。やはり戦争はどんな世界でもあってはならないもので、日本もまた戦争に繰り出さない勇気を持たないといけないと改めて思った。
南京墓地は中国人専用の墓地で、昭和以前に存在していたそうで、戦争とは直接関係ないかもしれないが、それでも戦争の皆無な世界を祈らずにはいられなかった。
そんな気持ちで墓地を後にした。

それにしても今回の散策は坂が多すぎて、足が痛くなった。考えてみれば、横浜は坂が多い。以前住んでいた埼玉は平地だけだったのに。