松葉杖初心者 VOL.2

骨折は骨折であって障害ではない。

が、足を骨折すれば、普通に歩けないのだから、あたかも肢体障害を持ったような気分になる。

馬鹿みたいだけど、自分が松葉杖で生活するようになって、あらゆる障害、つまり「耳が聞こえない」、「目が見えない」、「手足が動かない」のうち、ならなければならないとしたら、どれを選ぶだろうかと、考えてしまった。

本当に馬鹿馬鹿しいけれど、ある意味究極の選択である。

特に前者二つはよく問われないだろうか。
「耳が聞こえない」、「目が見えない」、選ぶとしたらどっち?のような感じで。
ここで、ふと思う。
一体何故、「足が動かない」と「目が見えない」は比べられないのだろうかと。
これも究極の選択であるはずで、こういう問い方もあっていい。

「足が動かない」と「目が見えない」、ただ違うのは自分の意思が入るかどうかだろう。
つまり、足とは自分で動かそうと思って動かすものである。
目は見ようと思って見るのではない。自然に見えるのだ。
このことは手や耳にしても同じことである。

足を骨折して自分の意思で動かすことのできない自分に腹が立つ。
人の世話になる部分が大きすぎる。
骨折ごときで大げさかもしれないけれど、これが障害に発展して、
自分の意思で歩けないなんてことになったら、厭世観で凝り固まり、
生きてゆくのも嫌になるかもしれない。

手にしても動かせなくなるなんて、信じられない。
自分の意思で、自由に本がめくれなくなるし、飯だって自由に食えない。

それに比べたら、耳が聞こえないなんていうのは「機能」の障害であって、
もともと意思の入る余地のないものだから、どうってことないと思う。

いや、その、どうってことないと言うのは言い過ぎだろうな。
特に目が見えないというのは、ものすごい障害だ。
それは理解できるのだが、人間にとってやはり意思は大事なものなのだ。
自分の意思で動かせるということが、どれだけ人間を支えているか。
意思とかけ離れたところで、ギャーギャーわめいても前進は望めない、と思う。

偏った考えかもしれないが、ちなみに自分は聴覚障害者で、「耳が聞こえない」人間である。